彩事季 ー 幸福の輪

「幸福の輪」

12月になると、街も人も賑やかになり、時間が忙しなく流れてゆく。街を歩けば、老若男女たくさんの人とすれ違う。
交差点で立ち止まり周りを見渡すと、どこを見ても人・人・人・・・。何をしている人なのだろう? どこへ向かっているのだろう? みんな、何らかの目的に向かって歩いている。それぞれに帰る家があり、部屋にはいろいろな持ち物があり、故郷や実家があり、職場や学校があり、親や親戚、友人や恋人や同僚がいたりする。
みんなが今という同じ時代を生きている。100年経てば、ここにいる人たちはほぼ誰もいない。命は常に入れ替わってゆく。でもきっとこの場所には、100年後も同じような光景があるのだろう。

ふと、ここにいる人たちは、みんな愛の結晶なのだなぁと思う。男と女が偶然に出会い、惹かれ合い、逢瀬を重ね、やがて同じ屋根の下で暮らし、心と身体が結ばれ合い、授かった愛の結晶。この人もあの人も、親が愛し合い、その結果生まれた命。地球は愛の結晶だらけの星だ。

人は生まれた時、大なり小なり幸福の輪の中心人物となる。産着を着せられた赤子が若い両親に交互に抱かれ、兄や姉がいれば、弟妹ができたと抱っこされる。祖父母や親戚や友人たちも、その子の顔を見にはるばるやってきただろう。贈り物をもらったりもしただろう。一人の誕生を周りの人が喜び、祝い、その子を中心に輪ができたはずだ。

自分もそうだったに違いない。とくに長男で初めての子供だったから、両親は大層喜んだことだろう。どれほどの人が喜び祝ってくれたのかなんて、もちろん記憶にはないが、想像することはできる。自分を取り巻く環境、そこに広がる幸福の輪。輪の中心にいる光のような赤子は間違いなく自分。まるでキリスト生誕を描いた絵画のように、生まれたばかりの自分のところにいろいろな人が集まってきたのだろう。

新しい命が生まれると、未知なるパワーが誕生し、そこから運命の歯車が回り始める。まるでビッグバンのように、“無”から突然、“ひとりの人間”としての人生が始まる。人生は常に、人と人との出会いでできている。人との繋がりが物語のように続いてゆく。時には人生にもみくちゃにされ、社会や世界には大変なことも起き、生きるだけでくたくたに疲れたりもする。それでも今この瞬間、またどこかで新しい命が誕生している。そこに新たな幸福の輪が広がり、たくさんの人を笑顔にしているはずだ。

人は、最初から幸福の輪の中にいる。その輪が大きくなったり小さくなったりしながら生きてゆく。やがて家族や知人に惜しまれながら、輪の中で永眠につく。今の自分を取り巻く幸福の輪は、ありがたいことに、とても大きい。