彩事季 ー 収束

収束

とうとう、ようやく、やっと。新型コロナウイルスがほぼ収束した。こう書けるまで長かったぁ~。みんな!お疲れ様でした!

2019年12月初旬に中国の武漢市で最初の感染者が報告され、日本では2020年1月に最初の感染者が確認された。当時、ハワイで正月を過ごしている時にネットを見て、「なんか中国で変なウイルスが流行ってるらしいぞ」と、まだ他人事のような会話をしていた記憶がある。その後、わずか数ヶ月で感染が世界中に拡大した。渋谷の街はゴーストタウンのように静まりかえり、あのスクランブル交差点から人が消えた。見たこともないSF映画のよう。これから先、あんな光景を二度と見ないで済むことを祈る。

今を生きている人類が初めて経験した、ウイルスによる地球規模のパンデミック。思った以上に長引き、収束するまで約3年半もかかった。人生のうち3年半を失ったようなものだ。
多感な青春時代の子供たちは本当に可哀想だった。楽しい青春を過ごしてきた大人は、その限られた時期がいかに大切な記憶になるのか知っている。
多くの人が、突然仕事がなくなったり、生きてゆくための糧を失ったりもした。我々はそんな状況の中でも家族や友人と支え合い、あの手この手で頑張り、耐え忍んだ。
自分もどこにも出かけられず、ずっと家にこもっていた。あんなに家で過ごしたのは、人生で初めてだ。自宅で楽しめることは限られる。そんな中、音楽というものが少しは心の安らぎになったことは間違いない。

振り返ると、辛いこともあったのに、なぜか不思議と笑顔を思い出す。きっと個人的な出来事ではなく、誰もが平等に受けた災難だったからかもしれない。みんなで頑張ろう、という仲間意識や復興精神のようなものがあったからだろう。

2020年10月31日、ACTIONツアー初日。我々は恐る恐る手探りな状況でも、国からコンサート開催許可が出た以上、とにかく始めることを決めたのだった。ようやくコンサートができるようになった喜びとともに、これまで毎年当たり前のようにやっていたコンサートという仕事が、いかに幸せなことだったのかをあらためて認識した。
久々にコンサートスタッフやバンドがリハーサルスタジオに集まった時の、あの嬉しさ。現地で初めて経験する会場の様子。座席は一席おき、マスク着用、声援禁止。まぁ再開できただけマシだとは思ったが、どんなにノリのいい曲やパフォーマンスをやっても歓声はなく、拍手だけ。もちろん、みんな手を痛くなるほど叩いてくれていたとは思うが、コンサートとしては異様だった。そこですぐに、観客のレスポンスがより分かりやすくなるコミュニケーション手段として、動きのある光り物のグッズを増やした。
初期の段階で来場してくれた観客は身も心も完全防備だったと思う。おそらく家族から「こんな時にわざわざ人の集まる所へ行くのか」と反対もされただろうし、未曾有のウイルスへの恐怖で慎重にもなっただろう。もちろん、医療関係者などコンサートどころではない人も多かった。
約3年の間に制限は徐々に緩和され、全席使用・マスクありでの歓声がOKになった。それでもまだまだ、本来のコンサートのスタイルではなかった。

そしてSpecial LoveSongツアーの最終日、ついにマスクなし・歓声OKとなり、すべての制限が解除された。実際に個人判断でマスクを外した客は4分の1くらいだったろうか。それでも「えっ!こんなに歓声って大きかったっけ?」と驚くほどだった。あちこちから好き勝手に歓声が飛んでくる。コンサートというのは、踊るわ跳ねるわ叫ぶわ歌うわで、日常にはない空間を楽しむためのもの。こちらも「そうだそうだ、そうだった! これこそがコンサートだ!」と思い出す感覚だった。
次のツアーでは、観客のほとんどがマスクなしで楽しんでもらえるだろう。きっと会場は相当賑やかになるはずだ。迎えるこちら側も、そんな本来のスタイルに調子を戻さなければいけない。

40周年アニバーサリーツアーでは、チェッカーズ、F-BLOOD、藤井フミヤ、この3つから楽曲を披露することになる。どれくらい盛り上がるのだろうか? きっと凄いだろうなぁ。思えばACTIONツアーやRED PARTYでも、大歓声が起きるはずの懐かしいチェッカーズ曲を歌ったのに、ファンの驚きと喜びの歓声を聞くことができなかった。聞きたかったなぁ~、イントロが鳴った時の歓声を! また、これも運がいいというか不思議なタイミングなのだが、おそらく人々のコロナを引きずった気持ちがほぼなくなっているであろう9月に幕を開ける。
みんなで弾けて大騒ぎして、3年半で溜まったコロナストレスを思う存分発散して、40周年は“我々のお祭り”にしよう!! ひとつのツアーで全都道府県を周るのは初めてだから、気合いを入れつつ真面目に頑張る。
40年も歌い続けることができた感謝を、ステージから君たちに伝えるために。