彩事季 – 「I am here again〜40th Anniversary〜」

2023年9月23日の名古屋から始まった40周年アニバーサリーツアーが、2024年6月9日の武道館で終了した。約10ヶ月間に渡る全61公演。人生で初めての全都道府県ツアーは、チケットがすべてSOLD OUT、全会場が大変盛り上がってくれた。デビュー40周年を迎えた61歳のシンガーとしては、我ながら喜ばしい快挙と言える。よく、コンサートは移動遊園地のようなものと言っているのだが、まさにそういうツアーだった。今、あらためて振り返ってみようと思う。

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正直、最初のミーティングで全都道府県を回ると決めた時は、不安もなくはなかった。しかし、やると決めたからには実行あるのみ。「よっしゃ!やるぞ!」と意気込んだ。そして、いざ蓋を開けてみれば、想像以上に観客が盛り上がっている空気感があった。しかも地方で如実に感じられたのだ。
この盛り上がりは一体なんだろう? まず、40周年というタイミングが観客の“今”にちょうど合った、ということが大きかったかもしれない。全都道府県ということは、観る側からすると、地元なので比較的足を運びやすくなる。そして年齢的なタイミング。子供の頃にチェッカーズファンだった男子も女子も今や立派な大人である。チェッカーズがスーパーアイドルだった時代に小学生だった人なら50歳前後、「TRUE LOVE」の頃に小学生だとしても40歳前後になっている。子育ても落ち着いたから久しぶりにコンサートへ、という人も少なくなかった。かと思えば最近の80年代ブームもあってか、若い世代もポツポツと混じっている。数十年ぶりに来た人もいれば、初めてという人もいるが、アニバーサリーだからこそソロ曲だけでなくチェッカーズやF-BLOODもあり、耳にしたことのある曲が多かったはずだ。さらに、長いツアー中には久々の紅白歌合戦やNHK BSのスペシャル番組、そして文化庁芸術選奨など嬉しいサプライズもあり、あらゆる要素が周年ツアーを盛り上げてくれた。

そして、なによりも強力にツアーを盛り上げてくれたのは、頼もしき我らがFFメンバーだった。comu comuで他の人のコメントに刺激を受けたのか、回を重ねるごとに遠征する人が増えてきた。こんなに遠征づいたツアーも初めてだろう。なにしろ公演本数が多いし、自分の住んでいる県に加えて前後左右の県にも行きやすい。こちらとしては、同じ内容のコンサートを何度も見て飽きないの?とも思うのだが、どうやらそんなことはないらしく、「フミヤに会いに行く!」まさに「愛にゆく」がFFの基本姿勢なのである。なんとありがたい! 私自身も旅先からcomuるし、遠征したFFメンバーもcomuる。各地の特色や会場の雰囲気、その日の興奮やMCの内容などを読むことで、FF全体がみんなで一緒に全国ツアーに参加しているような気分になれた。ツアーを通じて各地でFF同士が繋がり出したことは嬉しいし、FFの輪がさらに広まったのではないだろうか。

今回のバンドはお馴染みのメンバーに、ピアノの櫻田泰啓氏だけが初参加だったが、相性抜群だった。バンドの音は、ツアーが始まったばかりの頃はまだバックバンドという感じだったが、回を重ね、食事をして酒を交わす度に、徐々に私をボーカルとするひとつのバンドとなっていった。
メンバー全員がまぁまぁな酒飲み。バス移動も多かったので、バスは後部にテーブルがあるタイプが用意され、そこでさらに交流を深めた。移動の時は弁当なのだが、うちのツアー弁当は最高に豪華。蓋を開けた瞬間に「おぉーっ、凄い!」と声が上がるレベルなのだ。コロナの時はライブ後も飲食店に行けなかったので、ホテルの部屋で各自弁当を食べた。あの時は本当に寂しかった。そんな状況で、ツアーマネージャーが「お弁当は美味しくて豪華な物を!」とイベンターに頼んでくれたことがきっかけで、今でも継続されているのだ。ツアマネえらい! 私はこれまでもずっと、ライブ後のバンドとの食事時間を大切にしてきた。バンドの食事に気を遣うことは、バンドの音にも反映する。私の持論である。

選曲でこだわった点は、生演奏が活きる楽曲ということ。どちらかと言えばダンス系よりもロック系、バラードもアップテンポも“ロックバンドが演奏している感じ”の楽曲を選んだ。なにしろ40年分の膨大な楽曲からのセレクト。セットリストを決めるのには時間がかかった。映画で言えば脚本のようなもので、とても重要。短くても長くてもいけない。1曲も退屈することなく「あっという間だった」と思ってもらえることが大切だ。観客がどこで立って、どこで座るかも考える。
周年なので、メジャーなシングル曲を中心に構成した。チェッカーズ、F-BLOOD、ソロ。さらにチェッカーズ曲の中でも芹澤先生と売野先生の楽曲、メンバーオリジナル曲、そしてCUTE BEAT CLUB BANDがある。それぞれの曲数のバランスをとり、さらにFFと一般客のことも考慮する。各ブロックを組み立て、最後の盛り上がりは全部をミックスした。「ALIVE」や「GIRIGIRIナイト」などはアルバム曲なので知らない一般客も多いだろうが、そこはFFメンバーが異常なまでに盛り上がってくれて、一般客もつられるから問題ない。
アンコール最後の曲は、かなり迷った。尚之も40周年だしなぁ、と考えた結果、「I have a dream」にした。ここ最近はF-BLOODでよく歌っているし、曲の始まりが藤井兄弟だけの演奏と歌なので、最後に相応しい。それに21世紀になっても未だに戦争はなくならないし、ウクライナもイスラエルも惨事の真っ只中である。40周年の最後は、平和へのメッセージで締めくくろうと思った。
当初、60本やるうちに途中でセットリストを変えたくなるだろう、と他にも数曲用意していたのだが、結局は同じセットリストで最後までやった。不思議と最後まで飽きることがなかったのだ。まるで体操選手のように、いかに同じ種目でその日の高得点を出すか。毎回そんな気持ちになっていた。

ツアー中の土日祭日は、ほぼすべてステージに立っていたことになる。コンサートが終わるとくたくたで、東京に戻って数日はボディメンテナンス。整うとまた地方へ移動して本番……そんな日々が続いた。多い時は10日で5本、2日に1本というペースの時もあった。これまでのツアーでは、やればやるだけ身体が順応して肉体が出来上がっていったが、今回は勝手が違う。疲れがようやくとれたと思うと次のステージなので、疲労が続く。なるほどこれが加齢というものか、と初めて年齢を実感したツアーでもあった。まぁそりゃそうだろうなぁ~、61歳にして61本なんてマイギネス並みの本数なのだ。せっかくなので地方は早起きして観光でもと思っていたが、移動の疲れをとるためにもゆっくりしていた方がいいし、本番の朝は体調を整えるのに3時間くらいは必要なので諦めた。ツアー半分を過ぎたあたりから、自分なりの肉体維持のルーティーンが出来上がった。

途中、風邪で声が出なくなり2公演を中止せざるを得なかったが、運よく振替ができたのは奇跡だった。しかも最終日の武道館の前に振替ができたのだ。その時点で分かったのは、以後二度と振替はできないということ。バンドメンバーとスタッフと会館、すべてのスケジュールが揃うことはもう無理だからだ。武道館が終われば、みんな次の仕事が入っている。つまり、あと約8ヶ月は病気ができない。今までも気を付けていたが、人間だから具合が悪くなることもあるんじゃないか……大丈夫か、俺? ずっしりとプレッシャーがのしかかった。とにかく健康体でいなければならない。体調が崩れるとすれば疲労か病気。疲労はメンテナンスでどうにかなる。病気や感染を避けるためにはなるべく人と接触しない。うがいと手洗い、消毒の続行。コロナが収束したというのに、自分だけはコロナ時期と同じ生活。家族も私に気を遣う。替えのきかない職業だけに、神経を使う日々が続いた。ホールツアーの最後となった岩見沢公演を無事に終えられた時は、心から安堵した。

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ホールツアーが終わると、1週間後が武道館。同じような内容ではあるが、センターステージになるので音響や照明などすべてが変わる。同じ曲でもまったく違う見え方になるし、自分の動きやパフォーマンスも変える。最終日だが初日のようなものだ。
内容は、2ヶ月前くらいから思案し始めた。オープニングは、ステージを囲んだ白い幕を落とす演出に決定。チェッカーズのGOツアーのアリーナで初めてやった手法でもある。当時のコンサートを見たことのあるファンは、きっと幕を見ただけで興奮するだろう。となると、まずオープニング曲を変えた方がいい。ホールツアーでの1曲目は「星屑のステージ」だったが、あのイントロでは幕は落とせない。考えた末に「ギザギザハートの子守唄」にした。ストレートにデビュー曲で始まるのはいいだろう。そうなると後半の盛り上がりの1曲目はどうする? あと「紙飛行機」もやるだろう。曲数を増やせたとしても、プラス1曲か。MCも、流れをよくするために考えておいた方がいい。ホールのように細かいニュアンスの喋りは伝わらない。ステージでの動きもある程度は考えておこう。6月なので衣装も変えた方がいい。衣装替えはどうする? 上着だけでも変えたほうが盛り上がるかなと思い、3パターンの衣装を準備……とにかく考えることが多かった。

本番前1週間の間に、リハーサル、テクリハ、ゲネプロをし、ある程度の完成形を作る。テクリハとゲネプロは、広い多目的ホールに本番通りのステージを実際に組んで行われた。がらんとしたアリーナに、ポツンと丸いセンターステージが設置される。ステージ、照明、音響、特効など、すべてのセッティングのリハーサルでもある。さすが、どこよりもセンターステージを熟知したスタッフチーム。問題なく上手くいった。自分は当日どう動くかを考えながら歌い、通しリハをする。軽く動いただけなのに結構疲れたので、こりゃ本番は気を付けないと。ホールツアーで鍛えられてきたとはいえ、なんせ360度の観客を相手にしなきゃいけないのだ。
武道館までの2日間は休日だったが、もう今さら何をするでもなく、ただただ禅のような心で身体を休めた。真面目に3日間は禁酒した。本当は岩見沢が終わったら禁酒だと思っていたんだけどねぇ……意志弱っ!

6月9日、いよいよ武道館の日がやってきた。前日から体調は整えていたし、睡眠もよくとれた。朝から3時間かけて半身浴・吸入・発声・ストレッチ・体操と完璧な状態を作り上げる。
武道館の楽屋に入ると、まさに “I am here again”な気持ちになる。リハーサルでは、自分なりに変更箇所や着替えのタイミングや動きの位置などを確認。前日サウナに入っていた時、ふと、オープニングの「ギザギザハートの子守唄」はハンドマイクではなくスタンドがいいのでは?と閃いた。「ギザギザ」は、円形ステージの内円から出ずに歌う演出だ。外周へ出るのは2曲目の「ジュリアに傷心」から。そう考えると、スタンドで始めて2曲目でハンドマイクに変える方が効果的だと思った。ただ、これまでの60本での「ギザギザ」は全部ハンド。それを今さらスタンドに変えていいのか? 大事なオープニングは1回しかないぞ!「お前なぁ、俺を誰だと思ってる? 藤井フミヤだぞ! それくらいできるだろ」そう心で呟き、リハで急遽スタンドマイクで歌ってみた。よし!いける。

ステージに上がる直前の恒例行事、バンドで円陣を組む。「軽く、カッコよくいこう!」「おう!」いつも以上に気合いが入る。幕に覆われたセンターステージに繋がるトロッコにバンドメンバーが一人ずつ乗り、中で円形ステージへと上る。私が最後に乗る。
幕の中に入ると、おぉー! 久しぶりだな、この感じ! 懐かしい記憶が蘇りつつ、緊張感が高まる。ホールツアーと同じ最後のBGMが流れると、客席がざわめき手拍子が始まる。やがてBGMの音がカットアウトで消える……さぁ始まる。

“Hello, Everybody! I am here again. Welcome to Nippon Budokan!”

凄まじい歓声の中、幕がスロモーションで落ちてゆく。その瞬間から後は、歓声に煽られて、身体が反射的に動いた。まだ1曲目なのに滝のように顔から汗が流れる。なんだ、この熱気は?! 衣装は裸の上に薄手のブルゾン1枚なのに、サウナのように汗が噴き出る。こりゃいかん、落ち着け! 興奮するな! 冷静に!と自分をクールダウンさせるのに必死。3曲目の「星屑」で、ようやくやや冷静になる。

そこから先は流れるままに身を任せ、ただただ無我夢中。気がつけばアンコールも終わり、両手を広げて花道を帰ってゆく俺。振り返り、観客に頭を下げる。ああ、すべて終わったぁ……いいコンサートだった……THE END。自分自身もバンドもほぼNOミス高得点なパフォーマンス。これまでに60本やってきただけのことはあり、まるで何かに操られたように歌もパフォーマンスも勝手に身体が動いた。自分の意志と観客のパワーが作り出したステージ。始まってしまえばあっという間だろうとは思っていたが、本当に瞬く間に終わり、もはや夢!?みたいな。観た人にもそう感じてもらえたのなら本望である。
それにしても今回の雰囲気は凄かった。長いツアーを走り抜き、ようやく武道館というグラウンドに入ってきたところで、全国から集まったFFの爆発的なパワーをまともに全身にくらったような。あらためてセンターステージの凄さを知ったような。FFとともに、最高の空間を共に作り上げることができた。自分で言うのもなんだが、素晴らしい、凄い武道館だったと思う。FF以外の一般客はたまげたのではないだろうか。

夜のバンドとの打ち上げは、ヘロヘロだったみんなで、さらにヘロヘロになるまでワインを飲んだ。最高の乾杯で、長い長いツアーが終了した。翌日は、燃え尽きるとはこの状態を言うのだろうなと思うほど、ただの燃えカスになっていた。何もできない、あちこち痛い、歩くのもやっと。ただ、ぼんやりとしながらも心は幸福感で満ちていた。武道館のWOWOWの録画を観て、「これ、昨日だったんだよなぁ……」と他人事のように思った。デビューして40年、あんなに幸せなステージで歌えたことを心から感謝する。

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怒涛の40周年だった。約10ヶ月間の長いツアーを支えてくれたスタッフ、バンド、そしてFFのみんな、本当にお疲れ様でした! 本当にありがとう!
あらためて思う、ステージが俺の人生そのものなんだと。