Fumiya’s Favorite ー 時代小説

「いいと感じたものは、FFメンバーとシェアしたい」。
そんなスタンスで、フミヤのおすすめ&お気に入りをご紹介するコーナーです。
今回フミヤのアンテナがビビッととらえたのは、こちら!

久しぶりに長編の時代小説を読んだ。今回は、時代小説の魅力について語ってみようと思う。
「時代小説」を辞書で引くと、「明治時代より以前の時代(主に江戸時代)に題材をとった小説」とある。日本は世界で最も古い国なので、平安・鎌倉・戦国・江戸・大政奉還・文明開化など、さまざまな時代と史実がある。だからこそ作家に想像力と知識と気力があれば、いくらでも面白い話が書けるのだ。題材となるのは幕末以前の話が多い。欧米と対等の近代国家を目指す明治以降よりも、天皇を中心とした日本独自の文化と政治で成り立っていた時代の方が物語として面白いからだろう。
 
時代小説を読む時は、さぁ読むぞ!と、やや気合が要る。なんせ言葉が難解で、気軽には読み始められないのだ。読めない漢字が多い上、物の名称など現代にない単語が多い。登場人物の名前も、読みにくい上に似ていて覚えづらい。
さらに、現存しない世界を想像する力が必要とされる。多くの人はテレビや映画で観た時代劇の映像から想像するだろうが、あれはあくまで映像として綺麗に作られているものでしかない。もっとリアルに想像するには正しい知識が必要で、そのためには歴史や文化を勉強して物語の時代背景を知ることが大切。それなしでは時代小説を読む醍醐味が半減してしまう。

ではどうやって知識を得るか。やはり、現在に遺された当時の文献や建築や物品を見ることと、それらについて研究された歴史書やテレビ番組などで学ぶことだろう。
博物館や資料館でその時代に使われていた物を見る時は、職人の技術を見ることも大切だが、それを使っていた人々の生活を想像することの方が大事だ。例えば戦国時代の本物の刀や武具を見ると、時代劇のような素早い殺陣では人はそうそう斬れないし、人はそんなに簡単に死なないことが分かる。武具を装着している相手には斬るより刺す方が有効なのではないか、槍や薙刀の方が有利なのでは?といった、リアルな戦法が頭に浮かぶ。あんな長い刀で刺されたり斬られたりするなんて、想像を絶する。戦国時代の戦場は、斬られても生きたまま動けない人が多いだろうし、出血多量で死ぬか、生き残ったとしても普通に動ける身体ではなかった人も多かっただろう。もし現代の鋭利な刃物で身体を5センチでも切ったら、血がドボドボと出て、すぐに病院へ行って縫って安静にしなければいけないだろう。
ちなみに私は居合で藁束を切ったことがある。時代劇のようにカッコよく素早く切って引くやり方では、まったく切れない。斧のような感じで垂直にドンと切らないと、藁束は切れないのだ。そう考えると介錯人というのは、切腹する人の苦しみを瞬時になくすために一瞬で首を斬り落とさなければならないので、凄い剣の腕前と相当の力が必要だ。そんな刀という武器を武士は常に腰に差していたわけだが、江戸時代になるとほぼ抜かなくなる。あくまで武士であることを示す目印のようなもので、サラリーマンのネクタイのようなアイテムになったのだろう。

古い時代をリアルに感じるには、お城に行くのもおすすめだ。天守閣までの細くて急な階段を昇ってみると、たとえ当時の建物ではなくても、城の大きさや造りを知ることはできる。例えば天守閣というのは、当時その領土で一番高い建物だった。殿様が自分の治める地を一望するためでもあり、民衆に権威を示すためでもある。ちなみに天守閣は、殿様の住居ではないし誰も住んでいない。本来の役割は、敵に攻め込まれた場合の最終的な籠城の建物だ。殿様は、城の敷地内にある御殿に住んでいる。だから時代劇でお城の階段を昇り降りする場面はほぼないが、緊急時に袴姿での昇降はいかに大変だったかと思う。とくに女性は相当面倒だっただろう。もし、殿様が大奥で「明日は天守閣で酒盛りじゃ!」なんて言ったら、「それはよろしゅうございますね。オホホホ」と言いながらも、現代風に言えば「えっ、マジか!? めんどくさ!」なんて思ったかもしれない。
 
城には、特別な時にしか使われないエリアも多い。京都で以前、移築された豊臣秀吉公の謁見の間を見学させてもらったことがある。諸国大名たちが訪れた際は、いくつもの廊下や部屋を通ってようやく秀吉に会えるのだが、そこまでに秀吉の凄さを見せつけられる豪華な設計になっている。金箔はほぼ剥がれ落ちていたが、当時どれほど建物内が金で輝いていたか想像できる。謁見の間は大広間で、秀吉は一段高くなっている舞台のような場所に座る。左側にはさらに一段高くなっている所があり、そこには天皇が座る。天皇の場所は、広間から見ると壁に丸い窓のようなものが開いていて、天皇の横顔だけが見える造りになっている。実は、その秀吉の場所へ特別に座らせてもらったことがある。目の前に、諸国大名たちが座っている光景が浮かんできた。
 
また、人々の暮らしそのものを想像するのも大切だ。当然、水道も電気もない。夜は蝋燭か行燈の灯りしかないから、ほぼ真っ暗。満月の夜は、電球がぶら下がったみたいに明るかっただろう。食事や風呂のためには薪で火を起こさなくてはならないし、貯蔵できる食べ物は米や味噌など。移動はほぼ徒歩、殿様は籠。最速の乗り物は、陸は馬、海上なら帆船。着物に関しては男も女も、特別な時だけは上等な仕立ての物を着ることがあっても、普段は決して煌びやかではない。庶民の着物は男女兼用があったし、肉体労働者はほぼ裸にふんどし一枚で、あそこは丸見えだった。女性も、腰巻だけの上半身裸は恥ずかしいことではなかった。絵画にも、若い女性が夏に外でトップレスで団扇を持って涼んでいる姿が見られる。

というわけで、こうした歴史的な知識さえ増えれば、時代小説に描かれた現存しない世界をリアルに想像して楽しめるようになる。なお、私が歴史が好きで詳しいかと言うと、そういうわけでもない。60年も日本で生きていると、知らず知らずのうちに日本の歴史の知識が身についてくるもので、それなりには理解して読めるようになる。それに漢字は読めなくても形や雰囲気でだいたいの意味が分かるので、なんとかなっているというだけだ。

ちなみに最近久しぶりに読んだ時代小説は、飯嶋和一さんの「黄金旅風」(小学館)。“飯嶋和一にハズレなし”と言われるほどファンの多い作家だ。3年の歳月をかけて書き上げたというこの作品は、浪漫時代小説とでも言えばいいのか、とにかくスケールのでかい物語である。
時は江戸時代、舞台は長崎。当時の長崎と言えば日本屈指の貿易港であり、キリシタンの町。主人公は貿易商の家に生まれた放蕩息子の末次平左衛門。大型帆船による海外貿易とキリシタン弾圧、そして徳川幕府の政治の話が絡み合うので、歴史についての勉強にもなった。末次平左衛門は実在した人物らしいのだが、この物語がどれほど史実に基づいているのかは分からない。
とにかく面白くて、読み始めると止まらなかった。読書は移動中にすることが多いが、これは続きが読みたくてしょうがないので久々に家で読んだ。作家の意気を感じるから、読む方もそういう姿勢になる。時代小説とは、すべてが想像の世界なのでSFのようなもの。作家は語彙に加え、半端じゃない歴史の知識と下調べがないと書けない。よくこんな小説が書けるな、と感服し尊敬の念を抱く。自分などは一生どころか三生くらい生きても時代小説家にはなれそうにない。「黄金旅風」は活劇的な冒険の物語で、色恋沙汰は一切出てこない。男性は好きだと思うが、女性が好むかどうかは分からない。でも面白さは保証します! ただし、少々気合を入れてお読みくださいませ。

「黄金旅風」飯嶋和一著(小学館文庫)