藤井画廊 第21回

「コレクター」

コレクターとは収集家のこと。世の中には、さまざまなコレクターがいる。私もその昔、一人掛け椅子(チェア)の収集家だった。さすがに家中が椅子だらけになってしまい、置けるスペースがなくなったのでやめた。以降も多少は何かを収集したこともあったが、ある程度集めたら飽きてしまうという自分の癖が分かり、コレクターは向いてないと自覚。今はもう何も集めていない。

ほとんどの人が、大なり小なり、好きなものをいくつか集めたことぐらいはあるだろう。しかし真のコレクターは、コレクションに人生を懸けている。物の収集にはきりがないので、目利きになるしかない。究極にセレクトした物だけを購入しないと、金もかかるし意味もない。そのための勉強・知識・労力・時間・財力・管理、そして何より情熱が必要になる。
とくにアートコレクションともなると、結構な底なし沼だ。しかもアートには時代を読むセンスも必須。例えば骨董のコレクションなら古い物に価値があるが、アートは次から次へと新しい作家が登場する。すでに有名な作家よりも、新しい作家の作品を掘り出すことが目利きとされる。難解な現代アート界で、自分が目をつけた無名なアーティストが有名になってゆく様は楽しいに違いない。新しい作品の方が安価だが、もしそのアーティストが有名になれば、市場価格がいきなり100倍になることもある世界だ。一般的なアートギャラリーは、あくまでビジネスなので、オーナーがよほど気に入った物以外は右から左へと売り捌く。一方、コレクターはビジネスではないので、基本的に買ったものはどんどん溜まってゆく。

先日、東京都現代美術館で開催されている「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」を観に行った。その名の通り、高橋龍太郎さんという個人のコレクションの展示である。
高橋さんは、日本で最も有名と言ってもいい日本現代アートのコレクター。1946年生まれの精神科医で、日本現代美術を専門に収集されている。その数3500点を超えるというから展示はあくまで一部だが、本でしか見たことがないような作品がたくさん展示されていた。作品群の素晴らしさもさることながら、とにかく「!?」の連続だった。一番驚かされたのが、これを個人で買う!? と思うような、普通なら美術館しか購入しないであろう巨大な作品や、難解な作品の数々。高橋さんのコレクターとしての志や気合、情熱を感じた。とてつもなく大きな倉庫で管理しているのだろう。
3500点以上のコレクションは、現在の評価額にして100億は超えると思われる。コレクションもここまで大きくなると、生き物のようなもの。収集は高橋さんの人生そのものであるが、もう個人の人生だけでは収まらず、作品たちの根や枝葉がさらに未来へと伸び続ける可能性があるのだ。つい、最終的にこの作品たちはどこへ向かうのか気になってしまう。いつかはご家族などが相続するのが普通なのだろうが、作品が分散しないためには美術館にするのが望ましいだろう。コレクションとして維持するには、どこかの自治体が高橋龍太郎美術館を建ててコレクションを引き受け、財団法人が管理するといった方法が理想的な気がする。そんなことまで思いを馳せてしまうほど、「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」には、個人の趣味の領域を超えた、真のコレクターの凄さを思い知らされた。

どんな大富豪も、最終的なコレクションの対象はアートに行き着く。アートは世界で一番高価なものであり、値段では表せない価値がある。そして最終的には美術館を造る。それこそが、大富豪と大企業による文化支援活動の最終形なのだろう。

左:西尾康之《Crash セイラ・マス》2005年
    © NISHIO Yasuyuki © SOTSU・SUNRISE  Courtesy of ANOMALY
右:「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」(東京都現代美術館、2024年)展示風景