藤井画廊 第23回

「パラドックスの鍵」

1枚の絵が、ようやく描き上がった。以前、藤井画廊・第20回で「デ・キリコ」を紹介した。そのデ・キリコ回顧展を観に行った後に触発されて描き始めた絵というのが、これである。その時は、紙に鉛筆で描いたドローイングを掲載し、文章の最後には「いつかみんなに披露することができるだろう」と結んだ。本来なら個展で実物を観てほしいところだが、現時点で個展の予定がなく、いつお披露目できるか分からないため、ひとまず会報で見てもらうことにする。

油絵で、キャンバスのサイズもそこそこ大きい。描き始めて半年、ようやく完成した。今あらためて下描きを見返すと、バラバラなパーツの裸婦が鉛筆で描かれているだけで、これからどう描くかはまだ何も考えていない状態。その後、どんな意味でこの絵を描くのだろうか?と悩みながら少しずつ描いたので、半年もかかってしまったのだ。描いては眺めるの繰り返し。何通りもの考えが浮かんでは消えてゆく。この部分をこの色にしてから……ここの部分はどうしよう……こんな感じに足してみるのはどうだろうか……。
油絵は時間がかかるので、失敗のリスクがでかい。水彩画とは違い、元に戻そうと思えば戻せるのだが、それにはかなり時間がかかるので慎重にならざるを得ないのだ。もっと瞬間的に大胆にぱぱっと描ける作風になりたいとも思うのだが、まだまだそこへは行き着いていない。そもそも絵を描くことが本業ではないので、私のアートワークの制作ペースはのんびりしている。もっと描き足そうかとも思ったけれど……きりがないので、この辺りでやめておこう。そうして筆を置き、作品は仕上がった。

タイトルは「パラドックスの鍵」である。パラドックスとは、一見すると矛盾しているように見えるが実際には真理を含んでいる表現や状況を指す。見ての通り、この絵は何もかもがおかしい。矛盾だらけで非現実的な、シュルレアリスムの世界。左右上下・時間・生命……すべてがヘンテコであるように意図して描いた。
ヘンテコな絵。でも実は、私たちの現実もそんなものではないだろうか。今の世の中、何が真実なのかも分からない。誰の言うことが真実なのか、何が正しくて何が悪なのか。好みもセンスもバラバラで、これもそれもあれも矛盾ばかりの世界……そう思いながら描いた。
なぜ「パラドックスの鍵」なのか。絵のお尻のような部分に、小さな鍵穴がある。パンドラの箱を開けるように、そこに鍵を差した瞬間、すべてが崩壊する。パンドラの箱の伝説では箱を開けたことで災いが起こるが、パラドックスの鍵が示すのは、自己の崩壊である。人の心は、何かをきっかけに一瞬で崩壊する可能性を持っている。自分でも思いもよらぬ矛盾した思考が生まれ、思いもよらぬ自分が心に現れる。恋愛も、ある種の自己崩壊であり矛盾でもある。恋は盲目とも言う。この絵は、そんな人間の持つ矛盾を表現している。

とても変わった絵だが、私のファンなら「フミヤっぽい」と思うのではないだろうか。このスタイルは、これまで一貫して描いてきた私の世界観でもあるからだ。それほど万人に好まれるような絵ではないかもしれないが、この感じが自分の最終的な絵のスタイルになる可能性はある。しばらく、私の描く絵のテーマは「矛盾」になるのかもしれない。「パラドックスの鍵」、自分でもけっこうお気に入りの作品となった。


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