Fumiya’s Favorite ー 「大河の一滴」

「いいと感じたものは、FFメンバーとシェアしたい」。
そんなスタンスで、フミヤのおすすめ&お気に入りを紹介するコーナーです。
今回フミヤのアンテナがビビッととらえたのは、こちら!

先日、作家の五木寛之先生と対談する機会に恵まれた。雑誌「家庭画報」2026年1月号の新春スペシャル企画である。

五木先生は、齢93。大東亜戦争からChatGPTまでの時代を生きてこられた生き証人であり、生き仏のような大作家だ。さまざまな文学賞の選考委員を務め、日本の作家の重鎮といっても過言ではない。
初めてお会いした印象は、とても93歳とは思えないということ。お姿もだが、話される言葉が90代のそれではなかったのだ。体験や単語や人名についての記憶が、まったく衰えない方なのだろうなと驚いた。経験と知識がびっしり詰まった脳は、広辞苑やどんな百科事典よりも分厚い内容に違いない。

今回、なぜ対談の話が持ち上がったかというと、五木先生の故郷は福岡県八女市で、私の故郷である久留米の隣町。「異世代同郷対談」という企画だった。もちろん、そのお話をいただいてすぐに引き受けた。五木先生と直接お会いしてお話しできるなんて、光栄の至りでしかない。
1ヶ月前くらいから何となく緊張し、失礼のないように代表作などを数冊読み返した。どれもすでに読んでいたとはいえ、さすがに時が経ち過ぎて記憶が乏しいので、「親鸞」のハードカバー6冊を改めて購入。かつて読んだ際、滋賀県にある比叡山延暦寺にまで足を運んだことや、親鸞の弟子である唯円による「歎異抄」を読んだことも思い出した。他にも、本棚にあった「大河の一滴」や、エッセイ集「人間の運命」などを読み直した。

せっかくお会いできるのだから本にサインを頂こうと思い、どの本にしようかと悩んだ結果、「大河の一滴」にした。
五木先生が語る人間論「大河の一滴」は、私のバイブルと言ってもいい一冊。総計320万部超の大ロングセラー。初めて読んだのがいつか定かではないが、再読しても新鮮に感じられたし、時が経ったらまた読みたいと思った。良本というのは何度読んでも、その時代・その年齢により何かを発見できるからだ。
単行本の初版発行が平成10年4月、翌年に出た文庫版は令和の現在で45刷。今なお版を重ねて愛されている。西暦にすると1998年、まだ20世紀である。時代背景としては、89年に米ソの冷戦が終わり、91年に湾岸戦争が終結してから数年が経過。かつ、2001年にニューヨークの世界貿易センタービルで同時多発テロが起きるよりは前だ。日本経済は、まだバブル崩壊から立ち直っていない低迷期。携帯電話(もちろんガラケー)が普及。すでにインターネットはあったが、今ほど全世代に普及してはいない。ちなみに自分の活動としては、「わらの犬」や「ソラモヨウ」をリリースした年である。
そんな時代に、日本と日本人のために書かれた、五木先生ならではの人間論。SNSが普及する前と後で人々の生活や価値観は激変したが、この本は古さがまったくなく、今でも心にずしりと何かを感じさせてくれる。

なお、五木先生は親鸞研究者と言っていいほど親鸞に詳しく、関連書籍を何冊も書かれている。「なぜ親鸞が好きなのですか?」と尋ねると、敗戦後の記憶を消し去ることができない、念仏を唱えれば悪人をも救うという親鸞の教えが、安堵のようなものを感じさせてくれた……そんな風におっしゃっていた。
「大河の一滴」や「人間の運命」でも随所で触れられているが、五木先生は12歳の時に今の朝鮮民主主義人民共和国の首都・平壌で敗戦を迎え、15歳で日本に引き揚げてこられた。その時のさまざまな記憶が、トラウマのように残っているらしい。我々には想像もできない、実体験としての戦争の記憶があるのだろう。

「大河の一滴」は、ぜひFFメンバーにも読んでほしい。文庫化もされているし、エッセイで短い文章に分かれているので、ぱっと開いたところを少しずつ読むのもいい。昭和の敗戦後を生き抜いてきた人たちは、人生経験はもちろん、生きる底力となる力強さを心のどこかに持っている。「大河の一滴」は、平和な今の日本人にも、そのことを痛切に感じさせてくれる。