

「ルノワール」
先日、上野にある国立西洋美術館の展覧会「オルセー美術館所蔵 印象派—室内をめぐる物語」を観に行った。パリのオルセー美術館所蔵の傑作約70点を中心に、国内外の重要作品を加えたおよそ100点の絵画・素描・装飾美術品が展示されている。オルセー美術館は1986年に、1848年~1914年までの西洋美術の多くを網羅する美術館として開館したらしい。もっと古くからあると思っていたが、意外と新しい。
足を運んだ目的は、ピエール=オーギュスト・ルノワール。今回は多くの作品が展示されており、メインビジュアルもルノワールの「ピアノを弾く少女たち」。印象派の展覧会は、いつもどこかで開催されているような気がする。人気があり、観客動員数が多いからだろう。人々が魅了される理由のひとつが、印象派が絵画の革命だったことだ。
印象派の画家たちが出てきた1800年代後半には、芸術アカデミーが主催するサロン・ド・パリと呼ばれる公式美術展覧会が開催されていた。一流の画家として世に認められるためには、サロンの審査を通過して作品を出展し、さらに入選することが必須だった。ただし当時の審査基準は古典的で、題材は史実を描いた歴史画、ギリシア・ローマ神話、聖書の場面を描いた宗教画のみ。技法も、筆の跡を残さず写真のように描いた写実的なものがよしとされた。印象派の画家たちは、もちろん古典的な絵を描く高度な技術も持っていたが、現代アートのようにその枠を飛び出し、根底から絵画の概念を変えた異端児なのだ。
今回の展覧会が、なぜ「室内をめぐる物語」というタイトルなのか。印象派といえば、一般的には風景画のイメージがある。画材が外へ持ち出せるようになったことで、モネの「睡蓮」のように戸外制作を好んだ画家も多かった。彼らは風景を写実的に描くのではなく、自然の光を即時的に捉え、筆で素早くキャンバスに描いた。やがてアトリエと自宅を分けることが主流になり、題材として家庭内の情景も描くようになる。読書や編み物をする、ピアノを弾いている、子供が戯れているなど、日常的な幸福や癒しが自然に題材となったのだろう。
個人的にルノワールの作品が好きかと問われると、そこまで好みではなかったように思う。あの明るくぼんやりとした西洋のブルジョワ感のある風景が、どことなく根暗な絵が好きな私には合わなかったのかもしれない。ルノワールの絵からは、あまり生涯における不幸や歪みが感じられない。仕立て屋の父とお針子の母のもと、7人きょうだいの6番目として生を受ける。13歳になると磁器工房の絵付けの仕事をし、19歳でルーブル美術館での模写の許可を受け、23歳でサロン初入選。努力もあるだろうが、やはり幼い頃から絵の才能があったのだろう。作品の題材のほとんどは都会的で楽しそうな庶民とブルジョワ階級で、田舎臭さや貧相な感じ、労働や生活の暗さはほぼない。
また、女性を描くのが好きだったようで、少女から婦人まで多くの肖像画が描かれている。明るく幸福に満ちた画風なので、肖像画の依頼も多かったらしい。裸婦画は、ほとんどが肉付きがいい。ふくよかな女性が好みなのかもしれない。これも私の好きなクリムトとは対極である。
ルノワールの絵が明るい光に満ちた幸福な画風になったのは、アリーヌ・シャリゴの存在が大きいのではと個人的に思う。アリーヌも、ふっくらとした体型だった。当時のフランス女性のファッションは、それじゃ飯も食べられないでしょ!というくらいコルセットでウエストを締め付けていた。理想のウエストサイズは42~45cmだったらしい。でもルノワールは、ふくよかなアリーヌに恋をした。
ルノワールが38歳の時、18歳年下のお針子だったアリーヌに出会う。その後、アリーヌは彼の絵のモデルとなり、二人は一緒に暮らし始める。ルノワールは生涯を通して彼女の絵を何点も描いている。44歳で長男誕生、49歳でようやく正式結婚、なんと60歳で三男誕生。ルノワールは生涯痩せ型なので、二人が並ぶとふっくら女房と痩せっぽっち旦那、そんな感じだったのだろう。アリーヌは大らかな愛でルノワールと3人の息子たちを支え続け、56歳で亡くなっている。ルノワールが74歳の時だった。心の中からアリーヌという光を失ったからだろうか、妻の死から4年後、78歳でルノワールも亡くなる。晩年はリウマチの苦痛に耐えながらも描き続け、生涯で残した作品は4,000点はあると言われている。
我が家の壁には、ルノワールの絵がひとつ掛かっている。縦20cm横15cmくらいの、鉛筆のドローイング裸婦画の版画作品。これは、油彩画「La Baigneuse blonde」(金髪の浴女)の習作とされている。人物も構図もまったく同じなので、きっとそうだろう。モデルはアリーヌである。油彩の絵の女性の薬指には、ルノワールが送ったであろう指輪がある。どうやらイタリア旅行中に描かれたらしい。指輪を絵に描くほど、当時の二人はラブラブだったのではないだろうか。
絵を購入した時点では女性がアリーヌとは知らず、後に調べてみて分かった。ふと眺めると鉛筆で簡単に描かれた小さな絵だが、ルノワールが愛したアリーヌがそこにいると思うと、不思議な安らぎと幸福感を感じさせてくれる。

