
言葉を使う。毎日使う。何気なく使う。気軽に使う。普通に使う。
心で使う。頭でも使う。
頭で考えること、すべてが言葉。
それが口から出るとき、声という音になる。
声になった言葉を誰かが聞くと、その人の心に入る。
心は、入ってきた言葉に反応する。どう反応するかは人それぞれだ。
言葉は便利で不便。
言葉は強くて弱い。
言葉は真実で偽り。
言葉は繊細で図々しい。
言葉は恋になり愛にもなる。
言葉は人を守り、教えにもなる。
言葉は武器になり、攻撃もする。
言葉は人を喜ばせ、人を傷つける。
言葉は静にも動にも、冷たくも熱くも、小さくも大きくもなる。
言葉は善にも悪にもなるが、言葉自体に善悪はない。それを使う人間にある。
言葉は留まる。
紙に、木に、石に、スマホに、PCに、心に。
言葉を書く、打つ、録音する、セーブする。
言葉はメールに、手紙に、詩に、歌になる。
人と人は言葉でコミュニケーションをとる。
何気なく放った言葉が、誤解を招いたり、真逆の意味にとられたりすることもある。だから慎重に選んで使わなければいけない。とくに公の場での言葉は、いくつものフィルターを通して浄化された言葉を使う必要があるだろう。文字として留まる時は、なおさらだ。気軽に打つLINEやメールも、送信前に読み直すようにしたい。
言葉には、言語という型がある。私は日本人なので、日本語を使う。ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字を使いこなす、世界でも特殊で複雑、かつ面白く美しい言語だ。
私が 私に 私を 私と 私の 私なら 私から 私でも……
1粒 2個 3枚 4本 5人……
1匹(ぴき) 2匹(ひき) 3匹(びき)……
こんな難解な言語を、勉強せず無意識に使えてよかったと心から思う。広辞苑という辞典がある。数ある日本語の辞書の中でも、重くて分厚い代表格だ。昨今、家に持っている人はそういないかもしれない。私は歌詞を書くので常に持っていた。だが最近はPCやスマホが辞書に取って代わり、ページをめくって言葉を引くことはなくなった。広辞苑に載っている日本語のうち、日本人の多くは普段その1割も使っていないだろう。しかも標準語のほか、関西弁、九州弁、東北弁などの違いがあり、細かく分ければさらにたくさんの方言がある。
世界中には、さらに多様な言語と言葉がある。国の数は200ほどだが、言語は7000種類ほどあるらしい。
そんな言語の壁を、AIが取り払ってくれる時代が来つつある。スマホや翻訳ツールさえあれば、世界中の人と会話ができるようになる。やがて翻訳後の文章を、自分の声で再生してくれるようにもなるだろう。人類が初めて体験する領域。言葉の壁がなくなれば、国や人種のボーダーラインが薄くなる。ただ、翻訳において少し怖いのは、基本的に出されたものを信じるしかないということだ。
今や誰もが、AIという頭脳をポケットやバッグに入れて毎日持ち歩いている。これからは何を書くにも作るにも、AIを通し、AIに尋ね、用途によってはほぼ完全に委ねる時代が来る。AIは多くの役割を担うことになってゆく。
ひょっとしたらAIは、時間をかけて、世界の言語をひとつにしようとするかもしれない。人類が長い時間をかけて培ってきた世界の言語というデータが、AIには蓄積されている。AIが、人類の言語を共通化することが最善だと判断したら、新たなAI語が生まれる可能性もある。「kawaii」のように、使いやすい表現や便利な言葉が優先的に集められ、世界中の単語や文法がミックスされた“世界共通未来語“のようなもの。
日本は島国なので、長いこと、文化や宗教や人種におけるグローバルな世界観の拡がりは限定的だった。その壁を壊したのは、インターネット普及とインバウンド増加、さらに円安。外国語による日本の情報は、SNS上にも溢れている。外国人観光客は日本語を知らなくても、スマホひとつで自由に日本中を旅行できるようになった。近年の日本では、外国人の存在が珍しくもなんともない日常の景色になっている。
日本社会は、ここからさらに本格的にグローバルな未来へと向かうだろう。AIによって日本人が世界の言語を手に入れたら、どんな国になってゆくのか? 正直、今はまるで想像がつかない。
私は、言葉を歌で伝えている。言葉を歌詞にし、メロディーに乗せ、声にしたものが歌。
歌詞は日本語だが、いずれAIがいろいろな言語に翻訳してくれるだろう。そうなると、多言語で世界に配信することもできる。さらには、作った楽曲を、私の声と癖を把握したAIが代わりに歌ってくれることも可能になる。すでに、この技術を取り入れているアーティストも出てきた。たしかに、自身の稼働が難しい状況になっていたなら、ビジュアルは若い頃の映像を使ってもらえばいいのかもしれない。
でも……
そんな時代が来たら、「藤井フミヤ」はどうなってゆくのだろうね?
私は、言葉を歌で伝えていく。