
新曲「ココロ」がデジタル配信された。記念として、あらためて「心」について記しておこう。
今回「ココロ」の歌詞を書きながら、心とは何か?ということに思いを巡らせた。かつて「BOY’S HEART」の歌詞を書いた時もそうだったのを思い出す。正解もなく明確な答えがあるものではないが、自分なりに考えてみたい。
心は、人が生きている証。誰しも、自分の内側に“心と呼ばれるようなもの”が存在することは認識しているだろう。
では、心はどこにあるのだろうか? 人体を解剖しても心は出てこないし、心臓のように「身体のここにある」と説明することもできない。
感覚的には、頭ではなく胸の真ん中あたりにあるように感じる。喜怒哀楽による痛みや温かい気持ちは、ほぼ胸で感じることが多い。恋をすれば胸のあたりがキュッと痛むように感じ、決して頭が痛くなることはない。肉体的な痛みは限られた部位に出ることが多いが、心の痛みは全身に広がり影響を与える。
今あなたが何かを思っているとして、それは心なのか、それとも脳の働きなのか?
脳は生命維持装置。脳で思考したり感知したことに対して感情が生まれるのは確かだ。でも、今ふと浮かんだ思いというのは、単に臓器としての脳の反応だけではなく、心から生じているものも多いのではないだろうか。脳は無限のクラウドのようなもの。巨大な図書館の中から、今、手に取って読んでいる本———つまり今この瞬間に思っていることや生じる感情こそが、心なのかもしれない。
心は目に見えないし形もないが、人を行動させ、思いを形にすることができる。
言葉や文章、絵や料理などの表現は、心を具現化したものだ。あらゆる思考や喜怒哀楽といった感情、それに伴う行動や表現も、心があるからこそ生まれてくるのだろう。
心は、測ることができない。大きさも重さも色もない。
生まれた時から広がり始め、死ぬ時まで膨張し続ける。経験した分だけ、考えた分だけ、人生の分だけ、拡大してゆく。物理学者の心には、広大な宇宙がすっぽり入っている。生物学者の心には、地球上のあらゆる生物が生きている。
“心が広い”という表現があるが、その広さは無限。ひょっとしたら宇宙と同じくらい広いかもしれない。まさに“小さな宇宙♪”なのである。
心は時空を超え、どこでもドアのように瞬時に移動できる。
とくに過去に何度も行ったことのある場所なら、鮮明なビジョンを描けるはずだ。何十年も前に通った小学校や中学校にさえ、すぐに飛んでいける。私の実家はもうないが、私の心は今でも、実家の玄関から自分の部屋へと入ることができる。
遠く離れた人や亡くなった人にも、いつでも会える。私は父と母に今すぐ会える。しかも、元気だった頃の姿に。言うまでもなく、あなたは私と今すぐ会える。あなたは私の姿や声を、パッと思い浮かべることができるからだ。しかも職業柄、比較的カッコいい姿をイメージしてくれるはずなので、私にはなんとも都合がいい。
このように、過去に体験した物事なら、忘れてしまわない限り、心に思い浮かべることができる。
もちろん未来にも行ける。ただし、ちょっと想像力が必要だ。そして心に描いた未来の想像は、現在の行動へと変換することができる。あれをやろう、あの人に会おう、あれを食べよう……心が意思を司り、行動を生み、未来を創ってゆく。
心を持っていることは、いいことばかりではなく厄介な時もある。
人は生きているといろいろなことが起きるもので、その都度、気分が上がったり下がったりを繰り返す。自分の心なのに、うまくコントロールできず制御不能状態に陥ることもある。上り調子の波に乗って豊かになる人もいれば、その全財産を失う人、とことん下がった時に命を断ってしまう人もいる。選択次第で善にも悪にもなる。生まれた時はみんな同じ真っ白な心なのに、悪人に成り果ててしまう心もある。
人は、それぞれ異なる肉体と心を持っている。
肉体と心が合体したものが「私」という個人だとすると、心は魂なのだろうか?
魂とは、生まれるための核のような存在。もし輪廻転生があるとするならば(ちなみに私は、あると思っている)、死ぬことで身体から抜け出た魂は、いずれまた違う肉体へと転生する。生まれ変わる時、前世での記憶はほぼ消滅する。今の自分として持っている心は、今の肉体の時だけのもの。心は肉体の一生をもって終わるが、魂は肉体が死んでも消えない。そう考えると、魂と心は別物ということになる。
心には、一人ひとり異なる好き嫌いがある。
〇〇は嫌だ! 〇〇はしたくない! そんなマイナス要因は、なるべく受け入れたくない。とはいえ、生きていれば嫌なことも起きるし、受け入れなければいけないこともある。心はそのことを分かっているからこそ、なるべく気分がよくなるプラス要因を求める。楽しい・嬉しい・気持ちいい・爽やか・心地よい・美味しい……etc. あなたの心にとっては、どんな感覚が最高の要因になるだろうか?
プラスのバロメーターとして最高に位置するのは、「幸せ」と感じられる時ではないだろうか。幸せには、2つの種類があると思う。花火のように派手で強い「ああー、幸せ!!」という感覚と、キャンドルの炎のように穏やかにしみじみと「ぁぁ、幸せ~」と味わう感覚。どちらにしても、幸せとは、生きている喜びを実感する瞬間。自分は、どちらかと言えばキャンドル型。基本的に、ステージ以外ではテンションが常に低めで穏やかなタイプである。
私の心が「幸せだなぁ」と感じるのはどんな時か?
そもそも、悩みを抱えている時に感じるのは難しいし、忙しくて思考だけが働いている時もダメ。体調が優れない時は、もってのほか。やはり、脳も心も身体もリラックスできている時がベストだろう。自らプラス要因を見つける視点を持つことも大事だ。
どんなことに幸せを感じるかは、人それぞれの価値観により異なる。例えば、美味しい高級料理を食べることが、必ずしも幸せとは限らない。むしろ自分は高級かどうかよりも、手作りだったりする方に幸せを感じたりする。温泉やマッサージで肉体的に気持ちよさや心地よさを感じることはあるが、その快感も必ずしも幸せとイコールではない。星や空を見上げながらの露天風呂だったら、幸せを感じられそうだ。
コンサートで歌っている時は、観客に向かって全パワーを放出している。頭の中であらゆることを考えているので、幸せだなぁと感じながら歌う余裕はあまりない。もちろん、ツアー最終日に最後の曲を歌い終えた瞬間などは達成感や安堵感があり、歓声に包まれて両手を広げながら「俺って幸せ者だなぁ」と感じることはある。
日常生活では、何気ない時、他愛もない時、穏やかな時、平和な時。例えば、天気のいい日にベランダの椅子に座り、流れる雲を眺め、風に揺れる木々のきらめきに四季を感じ、枝にとまっている鳥の生命を感じる……こう書いてみると、自分が幸せを感じるのは、自然をボケ~ッと眺めている時が多いかもしれない。思考が止まり、心が無に近い状態になるからだろう。
過去でも未来でもなく、今を生きている時。さらに、いろんな愛に支えられてるなぁと実感する時。なるほど……無の状態で、ふと愛を感じた時に、心は思わず「幸せだなぁ」と呟く……そういうことなのだな。
今世の自分としての「心」は、もうこれ以上広がらなくてもいいかなぁとも思うが、まだまだ未来があるので今後も広がってゆくのだろう。人は、心を育てるために生まれ、生きているのかもしれないな。
さぁ、それでは「ココロ」を聴いてみよう!
♪♪♪
